クレイトン=バルワー条約

クレイトン=バルワー条約、中米で対立する英米の利害を調和させるために作られた妥協協定(1850年4月19日に調印)。 その曖昧な表現から、英米関係史上最も議論され、困難な条約のひとつとなった。

この条約は、パナマ地峡に間もなく建設される運河を両国が共同で管理・保護することを定めたものである。 この条約の序文では、中米の中立化が約束され、いずれの調印国も「占領、要塞化、植民地化、いかなる支配権の想定または行使も行わない。 . . .” この条項の解釈が、日米両政府の間で激しく争われることになった。 米国は、「占領しない」という約束は、英国側が特定の利益、すなわちモスキート海岸の保護領、英国領ホンジュラスおよびベイ諸島への入植を放棄することを要求していると考えたのである。 これらの問題に対するイギリスの反論は、条約は現状を認めるというものであった。 数十年経っても運河が建設されないと、アメリカでは協定を破棄してアメリカ主導の運河を実現することを求める声が高まった。 クレイトン=バルワー条約は、1901年に第二次ヘイ=パウンセフォーテ条約(q.v.)が締結され、最終的に破棄され、英国は、米国が運河を建設し管理することに同意したのである。

コメントする