スイスの貴族の家に生まれ、1780年にスイスからアメリカへ移住したアルバート・ギャラティン(1761~1849)。 1795年に下院議員に当選し、1801年まで在任したギャラチンは、独立心の強い初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンと絶えず争った。 1801年に財務長官の年次報告を義務付ける法律を制定したのは彼であり、同年末に長官として最初の年次報告を提出した。 また、歳入、負債、融資、支出に関する財務省の年次報告書を審査し、議会に対する財務省の説明責任を保証するため、強力な下院財政収支委員会の創設にも貢献した。 1801年にジェファーソン大統領によって財務長官に任命され、ジェームズ・マディソン大統領の下で1814年まで在任したギャラチンは、財務省の歴史の中で最も長い13年間在任した。
Sec. Albert Gallatin
Matthew Wilson
Oil on canvas
1879
63 1/2 x 54 x 4 3/4″
P.1879年.2
長官としてハミルトン主義を貫き、財務長官の独立性を確立し、省内機構を制度化した。 ギャラティンはそのための歳入を確保して連邦債務をかなり削減し、1812年戦争の戦費調達のために内国税を復活させたが、十分とはいえなかった。 1811年、合衆国第一銀行の再出発を議会に説得することに失敗し、財政難を予見した彼は、1814年に辞任した。 この年、ギャラチンは、イギリスとフランスが敵対関係を解消するための和平会議にアメリカを代表して参加するため、ロシアに向かった。
作家紹介
肖像画・細密画家のマシュー・ウィルソン(1814-1892)は、1814年にロンドンで生まれ、1832年に渡米し、フィラデルフィアに移り、ヘンリー・インマンの弟子となった。 パリでエドゥアール・デュブッフに師事した後、アメリカに戻り、ブルックリンに居を構えた。 1840年代から1860年代にかけて、オハイオ、ボルチモア、ボストン、ワシントンD.C.などで肖像画の依頼を受け、広範囲に旅をした。1865年、ワシントン滞在中に、暗殺の数週間前にリンカーン大統領最後の肖像画を描いた。 ウィルソンが描いたアルバート・ギャラチンの肖像画は、おそらく元長官の晩年の写真をもとに描かれたものであろう。